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文学でマインドセットする 「イリュージョン」

マインドセットについてこのブログでは何度も書きましたが、ブログで書いたようなシンプルなメッセージや仕事上での具体例例以外にも、もう少し違った響き方がするマインドセットメッセージがあります。それは文学です。ということで今回は「文学でマインドセットする」をテーマにリチャード・バック(Richard Bach)の「イリュージョン」を紹介したいと思います。文学は物語という形に美しく調理されているので、心への響き方がもっと深く、印象深いものとなると思います。みなさんは文系、理系は関係なく、本を多く読まれる方はいると思いますが、文学的なものは特にビジネスや人生のデザインにおいて即効性がそれほどないので、そういった作品を読むことの優先度はちょっと下がるかもせれません。ただ私はじわじわと浸透してくるものだとは思いますね。今回紹介する本はビジネス的観点からというよりも、一つの寄り道的アプローチとして読んでいただくといつもとは違う新鮮さを感じることができると思います。お勧めの本です。

イリュージョン (集英社文庫)

イリュージョン (集英社文庫)

この本のマインドセットメッセージ

この小説自体も大変面白いのですが、なんといってもその導入部のChapter1がマインドセットを端的に現わしているので、この点に絞って紹介したいと思います。実はここで伝えられるメッセージは単純で、別な形でメッセージだけ聞いても「まあ、それは、そうだよね」と思うぐらいで済んでしまうと思います。しかし、この本の場合は冒頭から始まる小説の不思議な雰囲気と、臨調観のある文章構成でメッセージがうまい具合に我々の心の隙間に放り込まれる気がします。私は最初読んだ時に結構な衝撃を受けました。Chaper1ではたまたま救世主に祭り上げられてしまった男が群衆の「私たちを導いて下さい!」という願いに対して語る言葉が最大のポイントですね。群衆は救世主に対しこの苦難に満ちた世界からの救済を求め、神の教えを乞い、そのためには何でもします!と救世主に詰め寄ります。そこで救世主は言います、「では神があなたに面と向かって「この世に生きる限りは幸せである様に努めなさい」と言ったら、あなたたちはどうされますか?」。この言葉を聞いて群衆は沈黙してまいます。これが単なる一方的なメッセージではなく、群衆とのやり取りというところが受け手となる読者に訴えまね。この無慈悲でさえ聞こえる答えを群衆と一緒になって受け取った気がしました。このChapter1だけでこの本を読む価値は十分にあると思います。

読後感想

この小説を読み終わった後はちょっとした爽快感とともに、人生は認知的なところで大きく変わるかも、となんとなく思いました。ここで紹介したChapter1のメッセージは、「自分で幸せになるように努力する、それには他責を止め、認知の仕方を変える」と受け取って、「やはり自分のマインドを前向きにセットすることが大事」と思いました。ただし、著者はう少しユルイ世界観でこの小説を書いたようですね。村上龍翻訳版のあとがきには著者Richardのコメントが引用されています。そこを読むと彼がこの本を書いた背景や考え方が分かると思います。ここでのコメントからは彼もそれなりに難しい人生を送ってきて、いろいろ面倒なことはあるが、所詮ままならない世の中なので、自分に正直にいくしかない、それでうまくいくかもね。という感じで意外にLayback(リラックスした)な感じですね。小説の主人公も同じ雰囲気です。ある程度達観する感じで、あまり突き詰めて考えないことも大事ですね。

この本について

現在入手できるこの本は新しい本は入手が難しいです。中古文庫本でも結構高い値段で取引されていますね。私は最初に読んだ時は図書館でこの本を借り、その内容がよかったので、その後、村上龍の翻訳バージョンを文庫本で購入しました。また、英語版もKindleで購入しました。英語版は肝心のChapter1は著者の自筆で結構読みづらいです。今回の救世主の言葉は英語版から自分なりに訳してみましたので、図書館で村上龍の翻訳版、さらに前に発刊された別の翻訳版が入手可能であれば読んでみると良いかもしれません。この本にはサブタイトルが入っています。”The Adventures of a Reluctant Messiah です。村上龍の翻訳のサブタイトルでは「退屈している救世主の冒険」となっています。 “Reluctant” は「気が進まない、嫌々ながら」という意味ですので、私であれば「気の進まない救世主の冒険」としてみたいですね。”Messiah” は「メシア、メサイア」で救世主、イエス・キリストですね。関係ないですが、ヘンデルの曲に「メサイア」という曲があり、日本語でも結構目にする言葉ですね。

救済を求める側の認知

舞台はインディアナ州です。私はこの州に数年学生という身分で住んでました。落ち着いた場所でもありますが、田舎です。リチャードがこの本の舞台をインディアナという所に設定した理由はちょっと分かりませんがが、このような保守的な地域では信仰は深く、ある意味硬直的な面を持つことからインディアナに設定したのかもしれません。余談ですが、彼はイリノイ生まれのようですが、イリノイですとちょっと同じ雰囲気にはならない気がします。日本でもそうですが、信仰という行為を通して群衆は救いを求めることになり、その求めるという行為に対しては人々はなにも違和感を感じることがない場合が多いと思われます。救われると信じている側は声高に叫びますが、救う側からすると「利己的」に映る場合があるかもしれません。黒澤明の映画「7人の侍」でも、侍が命がけで農民を野武士から守った後、農民達に追い出されますが、群衆には正義・美意識がないので、「農民が一番たちが悪い」という感じのセリフがありました。似た群衆心理ですね。ビジネスでは救う、救われるというような関係は存在しませんが、同じようなことも起こりますね。私の経験ですが、以前とにかく文句の多い社員がいました。彼の主張はいつも「マネージャーは我々に対して責務を果たしていない、マネジメントというのはぼくのように現場を大事にすることです」と主張して批判ばかりしている人がいました。彼の言動に見かねて注意したところ一言目で「では会社やめましょうか!」とキレられたので、私が「現場大事にするって言っている人がそういう発言をすることが正しいのですか?」と返したところ黙ってしまいました。これも硬直的認知による他責マインドのなせる業ですね。まあ自分自身の知らずに同じようなことをやっているかもしれませんが。

 

結局、自分の人生の目的や答えは誰かからもらうものではないですね。寄り道しながら考えていく必要がありそうです。以上、今回はちょっと趣向を変えて「文学でマインドセットする」でした。